これまで紹介してきたように、深海の過酷な環境での使用に耐えるダイバーズウォッチは、安全性や信頼性の観点からISO(国際標準化機構)やJIS(日本工業規格)が定める厳格な規格に準拠しなくてはならないが、その制定の手本となったのは、日本のセイコーが技術開発の基準にしたダイバーズウォッチの性能規格である。この分野で重要な役割を果たしていたのが実は国産時計だったのだ。
まずは戦後の国産時計の歩みを振り返り、時間を60年ほど巻き戻してみよう。高度成長期にあった当時の日本は、時計製造の技術や品質が本場スイスに追い付くところまできた。「国産初」記録が次々と樹立されたことにも、その勢いが象徴されている。
国産初の防水腕時計が登場したのは1959年である。同年6月にシチズンから発売された「パラウォーター」だ。手巻きで、ケース、ベゼル、裏蓋、リュウズに“Oリング”のパッキンを組み入れることによって防水性を実現した。防水機能は、現在の日常生活防水に相当するレベルだが、この方式は以降の標準仕様になってゆく。そしてシチズンは、1963年に防水性を実証する大胆な実験として、パラウォーター太平洋横断キャンペーンを実施した。パラウォーター型「オートデーター」(国産初の日付表示付き自動巻き)を装着したブイ130個が黒潮に乗って太平洋を渡り、そのいくつかがアメリカに漂着したことが話題になった。 |